遠州森の祭り☆沿海社☆

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江戸時代に上川原町(沿海社)の屋台があった事は文久の古文書によって明らかにされているが、その製作年は全く不明。

次に造られたのは明治19年であり、その値段が10円40銭5厘と記録されている。そして現在の屋台は昭和2年に造られ、その値段が1,441円98銭とある。ちょっとへんではないか。いくらなんでもこの時代に屋台の値段が140倍に跳ね上がるわけがない。当時の貨幣価値を東京都立中央図書館に問い合わせてみた。
それによると、明治20年にキリンビール1本17銭に対し昭和3年は41銭、また明治20年に銭湯大人1銭3厘に対し昭和3年は5銭とある。
つまりその貨幣価値は3倍から4倍程度しか上がっていないのだ。
ではなぜ屋台の値段がこんなに高くなったのだろう。沿海社記録帳をよくよく調べてみると、屋台1,441円のうち彫刻代と漆代だけで876円もかかっている。要するに先代の屋台より、ものすごく豪華な屋台を造り上げたのだ。

 その豪華な屋台を紹介しよう。
造ったのは太田寅太郎、太田徳太郎、太田亮平等の工匠、彫りは初代朝雲・早瀬利三郎。そして塗りは初代村松定助とこれまた豪華なメンバーである。屋台は、屋台本体と車輪、塗り、金具そして彫刻によって槙成されているが、中でも彫刻はその優雅さと、社の特徴をかもし出してくれる。第2次屋台新築期(大正11年~昭和11年)では、この沿海社の彫りを皮切りに北街社、明開社、慶雲社の屋台に早瀬利三郎の作品が次々と彫られた。沿海社の正面欄間には鳳凰、左御簾脇に龍仙人、右御簾脇に傘乗仙人がいる。左欄間には七福神の布袋、後欄間には鐘馗神。そして、以外に知られていないのが右欄間の魚をとる手長足長である。谷本社の手長足長は有名であるが、沿海社の手長足長もなかなかかわいい表情をしている。
更に昭和56年の大改修時には、栄町の工匠・山本庄平によって支輪を大きく造り変え、そこに飛龍と獅子を彫りこんだ。彫った男がまたすごい。第3次屋台新築期(昭和53年~平成5年)に水哉社、湧水社、慶雲社、藤雲社、北街社の彫りを彫り上げた北陸の天才彫刻師・志村孝土である。更にもうひとり、早瀬利三郎の弟子である川原町の名彫刻師・中山亮策も参画しており、昭和23年、脇障子の「鯉の滝昇り」を彫り上げている。つまり、沿海社の彫りは、早瀬利三郎、志村孝士、中山亮策という3人の名匠によって彫られた森町に1台しかない傑作なのである。

森の祭りHPより
※写真は皆様より画像をお借りいたしました。


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