~Yahoo!~ニュースより
「セクシャルバイオレットNo.1」などのヒット曲で知られるロック歌手・桑名正博さんが26日午前11時44分、全脳死による心停止のため大阪市内の病院で死去した。59歳だった。7月15日未明に大阪市内の自宅で、脳幹出血により倒れてから104日目。意識不明のまま壮絶な闘病を続けてきたが、奇跡は起こらなかった。30日の葬儀後は、大阪のメーンストリート・御堂筋をリンカーン霊きゅう車で走る「御堂筋桑名パレード」を実施。派手に明るく、沿道のファンに別れを告げる。
桑名さんが、ついに力尽きた。デビュー40周年記念全国100か所ツアーの最中だった7月15日未明、大阪市内の自宅で脳幹出血により倒れて104日目。午前中に血圧が低下して容体が急変し、帰らぬ人となった。
長男でミュージシャンの美勇士(31)はこの日夜、名古屋から、父の亡きがらの眠る大阪市内の寺院に駆け付けた。桑名さんの妻・栄子さんから危篤の一報を受けたが最期はみとれず。それでも「1日もつかどうかから3か月なんて、十分奇跡だと思う。伝説に残ればいいですね。息子として、すごい人やったんだなって思いますね」と、かみ締めるように話した。
倒れた時点ですでに手術もできない状態だったが、驚異的な生命力で持ちこたえてきた。病室では好物だった大阪名物の「インデアンカレー」の香りを漂わせるなど、意識回復を目指し、関係者が懸命に呼びかけた。しかし、医師は「これ以上の回復は見込めない」と宣告。再び目を覚ますことはなかった。
「最初は悲しみが大きかったけど、後半になって医療費のこととかあって不安はありました。いつ亡くなるのか分からないということが、家族としては一番つらかったと思う」と美勇士。悲しみを抱えながら27日、大阪府内でのライブを予定通り開催するという。
母で、桑名さんの前妻の歌手アン・ルイス(56)にも死去を報告。「絶句していました。10秒くらい黙っていたんじゃないですかね。『ウソでしょ』って」と明かした。米在住のアンはこの日午後6時頃、フェイスブックで美勇士が子供の頃に家族3人で撮影した写真をアップして追悼。コメントはつづらなかった。
家族同様、奇跡を信じていたファンは葬儀場でのお別れは難しいが、妹で歌手の桑名晴子(56)らの発案で、粋な演出が施される。30日の告別式終了後、午後4時に大阪・平野区の火葬場に到着するまでの空き時間を利用し、「御堂筋桑名パレード」と題した“お別れ会”を実施する。
午後2時30分に梅田新道近辺からスタート。最高級リムジン・リンカーンの霊きゅう車で、桑名さんが愛した大阪の街の象徴ともいえる全長約4キロメートルの並木道を北から南へ走行する。美勇士は「すごく派手な人だったので、声かけられるのが好きなんですよね。皆様に協力してもらいたい」。御堂筋のビル街に「マサヤン、ありがとう!!」の掛け声が響きそうだ。
▼通夜・告別式 通夜は29日午後7時から、告別式は30日午前11時30分から、ともに大阪市阿倍野区阿倍野筋4丁目19の115、やすらぎ天空館で。喪主は妻・栄子(えいこ)さん。
◆桑名 正博(くわな・まさひろ)1953年8月7日、大阪府出身。71年にロックバンド「ファニー・カンパニー」を結成し、翌72年にデビュー。74年にバンドを解散し、75年からソロ活動を開始。79年に「セクシャルバイオレットNo.1」が大ヒット。80年にアン・ルイスと結婚し長男・美勇士が誕生するが、84年に離婚。その後、再婚した。2000年に港湾事業を手掛ける家業の桑名興業の社長を継ぎ、実業家としても活躍した。
巨星がまた一つ落ち、大きな伝説として世の中に希望を与えてくれました。
わずかな命と宣告されつつも、104日もの間、戦い続けた桑名さん。
最後の最後までかっこいい生き様でした。
心よりご冥福をお祈りさせて頂くと共に、映画の中でずっと生き続ける白竜さんとの名演技に酔いたいと思います。