遠州森のまつり☆歴史編7☆
~明治・大正編2~
明治時代については前述の資料をもとに記載していく。
明治初期に再開された森の祭りに、いつ頃から城下が参加したかは定かでない。
しかし、相当古くから屋台の引き回しをしており、
少なくとも明治20年の記録には城下の屋台が確実に登場している。
もしかすると江戸時代に城下村単独で屋台を引き回していた可能性も出てきたのである。
つまり、城下の先代の屋台は明治25年に新築されたことが判明しており、
それ以前にも屋台があったのだから屋台の寿命から逆算すると、
先々代の屋台は江戸時代に造られたと見てもおかしくないのである。
残念ながらこれを立証する文献は今のところ発見されていないため、仮説にとどめておく。
さて、明治19年から26年までの間に新屋台建築のラッシュがあった。
先ず明治19年に沿海社が屋台を新築し、その時の値段が10円40銭5厘とある。
翌、明治20年に沿海社が今度は屋台の車輪を新調している。
その値段が13円10銭4厘であったわけだから、いかに車輪が高価で且つ大事なものであったかがうかがえる。
次に明治22年に明開社が屋台を造っている。
記録によれば“明治町ハ本年屋台ヲ求メタレバ”とあるため
この言葉からして屋台を新築したのか、他から購入したのかは定かでない。
いずれにしても、明治18年に開拓されやっと出来上がったこの町に、
そのわずか4年後に屋台を造ってしまうとは当時の明治町の人々の熱意が感じられる。
続いて明治24年には先々代の水哉社が新築されている。
正面支輪に彫りが入っているという当時としては非常に珍しい作りである。
その後水哉社は大正11年にもう一度屋台を新築しているが、
その屋台の支輪にはなぜか彫りが入っていない。
翌、明治25年に谷本社と比雲社が屋台を新築している。
共に先代のものであるが、ご存じの通りこの比雲社の屋台は金守神社に保存されており、
現在見ることの出来る森町最古の屋台である。
この谷本社と比雲社は同じ明治25年に屋台を造っているのだが面白いことにこの後、
大正12年にこの両社は同じ東京白木屋呉服店にて天幕を新調している。
同じ年に屋台を造り、同じ年に同じ所で天幕を新調するとは
よほどこの両町内が仲が良かったか、或いは見栄を張り合ったかのどちらかであろう。
※森の祭りHPより引用※
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