游僊車【源頼朝】
山梨祇園祭り
游僊車
清和源氏の一流たる河内源氏の源義朝の三男として生まれ、
父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ配流される。
伊豆で以仁王の令旨を受けると北条時政、北条義時などの坂東武士らと平家打倒の兵を挙げ、
鎌倉を本拠として関東を制圧する。
弟たちを代官として源義仲や平家を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、
諸国に守護と地頭を配して力を強め、
奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼす。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。
これにより、朝廷と同様に京都を中心に権勢を誇った平氏政権とは異なる、
東国に独立した武家政権が開かれ、後に鎌倉幕府と呼ばれた。頼朝の死後、
御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、
その後は北条義時の嫡流(得宗家)が鎌倉幕府の支配者となった。
※Wikipediaより※
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