遠州森のまつり☆歴史編8☆
~明治・大正編3~
明治26年には桑水社と北街社がそれぞれ屋台を新築している。
桑水社は先代の屋台、北街社は先々代の屋台である。
今までこの両社の製作年は全く不明であったが、
今回発見された資料によって初めて明らかになった。
まことに喜ばしい限りである。
ところが、天宮の方々には申し訳ないがどうしても凱生社の先代の屋台の製作年がわからない。
唯一わかっていることは、明治23年から屋台を引き始めたということである。
記録によれば“天宮モ本年ハニ日ノ晩ヨリ急二屋台ヲ借リ来り挽キタリ”とある。
どこからか屋台を借りてきて引き始めたのである。
明治初期頃から城下が森の祭りに参加したであろうと考えると、
祭りに参加していない天宮の町を森町村の屋台と城下村の屋台が、
20年もの間行ったり来たりしていたわけだから、天宮の人達はよほどおもしろくなかったであろう。
しかし、天宮には森の祭りに参加したくても参加できない理由が合った。
それは、天宮神社と三嶋神社の格の差であった。三嶋神社は“村社”といって森町村の管轄である。
ところが、天宮神社は“県社”といって静岡県お預かりの神社であり格式が高い。
村も神社もちがう天宮が祭典を一緒にやるわけにはいかなかったのだ。
そして、明治23年市制町村制が施行され、江戸時代から続く
森町村、天宮村、城下村、向天方村、橘村が合併して森町(旧森町)が出来上がった。
これを機会に翌明治23年から天宮が借りてきた屋台を引き回し森の祭りに参加したわけである。
日清戦争(明治27年~28年)、日露戦争(明治37年~38年)で大勝した日本国軍の諸国凱旋にちなみ、
凱生社と名付けて屋台を新築したと考えると、凱生社の先代の屋台は
明治28年から明治38年の間に造られたと思われる。
残念ながら今のところそれ以上のことはわからない。
※森の祭りHPより引用※
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