遠州森の祭り☆9☆

遠州森町 数珠屋 粋鳳☆日々是好日☆

2020年10月24日 00:00



~明治・大正編~

明治37年2月8日、日本軍はロシア軍に奇襲攻撃をかけ、
日本は国の運命を賭けた日露戦争に突入した。

大陸での戦闘は日を追って激しさを増し、満州に進撃した日本軍の主力である

乃木希典を司令官とした第3軍はその攻撃目標を旅順(りょじゅん)と定めた。

「バルチック艦隊が到着する前に旅順を落とさねば、

日本に勝目は無い」と乃木大将は旅順港を見下ろす二百三高地を占領した。

しかし、この戦闘により日本軍6万4千のうち1万7千の死傷者を出してしまうのである。


森町からも410名が従軍し、そのうち40名の戦傷病死者を出している。

これを気に病んだ乃木大将は明治天皇の大葬当日、赤坂の自邸で妻静子と自刃している。

翌、明泊38年1月1日、ついに日本軍は旅順要塞を陥落させた。

当時の新聞には“旅順陥落”の活字が紙面に踊り、日本各地で戦勝を祝う提灯行列や祭りが行なわれた。

森町では2日後の1月3日、4日に“旅順陥落祝勝祭典”が行なわれ屋台を引き回している。

全国でも異例の早さであったに違いない。

更に同年5月27日、前年10月にバルト海を出発したバルチック艦隊がついにその全貌を日本海に現わした。

海軍大将東郷平八郎率いる日本連合艦隊はこの一戦にすべてを賭け、寄跡的な大勝利を勝ち取った。

翌、明治39年4月、森町では日露戦争の大勝祝いとして“凱旋会祭典”を行ない、

やはり屋台を引き回している。

その後何かにつけて屋台を出しているのだが、この当時の森町の人々にとって祭典とは

宗教儀礼というよりも、喜びを表現する場であり、ストレス発散の場であったと考えられる。


※森の祭りHPより引用※

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