遠州森のまつり☆歴史編10☆
~明治・大正編~
ここで祭りの日程について説明しておく。
江戸時代は旧暦9月9日、10日に行なわれていたことは先に記した。
明治6年、新暦が用いられてからは11月1日、2日、3日と定められた。
(明治16年以降は確実に上記3日間であった)
そして、大正3年から15年までは10月29日、30日、31日に行なわれているが理由は不明。
昭和2年からはまた11月1日、2日、3日に戻されたが、
平成16年からは11月第1週金~日となる。
明治以降11月3日が天長節(天皇誕生日)であった為、その日を祭典と定められたと思われるが、
特に11月3日は盛大に祭りが行なわれている。
“だし”の語源は”出し物”からきているが、実は飛騨高山の屋台最上階のからくり人形も“だし”というし、
京都祇園祭りの山鉾の上に乗せる鉾も“だし”という。
つまり山車の上に乗せるものを全て“だし”というのである。
森の祭りでは高欄に乗せる“だし”を人々が手作りで人形などを作り、
11月3日の天長節の日のみ高欄に乗せて練り歩き、各町内その出釆具合を競い合った。
明治22年の記録によれば“川原町ハ是ヲー等ノ出シ物卜評セリ、
下宿ハニ等ノ出シ物トス、中町ハ是ヲ以ッテ三等トス”などと記載されているため、
出し物には順位を付けて評価されていたことがわかる。
明治19年から26年の間に各社屋台が新築されこれを仮に“第一次屋台新築期”というならば、
大正11年から昭和11年にかけて“第二次屋台新築期”が起きている。
そして昭和53年から平成5年にかけては“第三次屋台新築期”が起き、
これによって現在遠州を代表する森の屋台が完成したわけであるが、
これらについては屋台編でくわしく記載する。
※森の祭りHPより引用※
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